るりこまり日記

私と私の大好きな人たちに都合の良い国を作って穏やかに生きたい

休符。「お姉さん」であること。

#どんな音を鳴らすかではなく、何を鳴らさないか

最近読んだ本に「休符」が大切だと書いてあった。本の著者は過去に何度か炎上しているため、説得力があった。私の大方健康な内臓がじんわりと冷えていくのがわかった。

休符について学んだあとの私は、自分の考えをインターネットの海へと軽率に流すことを控えるようになった。ここでいうネットの海とは飛び去っていった青い鳥のことである。これに気をつけるようになってから、今日食べたものや出かけた場所など、当たり障りの無いことしか投稿しなくなった。嘘、ちょっとしたお気持ち表明はしたかもしれない。

学習する前の私であれば「隣に座っているウェイ系っぽい男子学生がもたれかかってきて本当に嫌だった、動悸がする、生理的に無理だ、いい加減ウェイ系っぽい男性への免疫をつけたい」といった文章を不快感のあまりにリアルタイムに投稿していたであろう。動悸に耐えながら。しかし、ひとつ賢くなったあとの私であれば「ごぼごぼ」の4文字しか放流しないと思われる。喉の奥から苦いどろどろが這い出て、がちっと閉じた上下の顎をこじ開け、解放されるべく溢れかえろうとしても、だ。見知らぬ男子大学生とは全く関係の無い件で苦しいことがあり、その際はどろどろの言葉達を別の言葉に小さく縮めて通してあげた。その言葉とは「ごぼごぼ」である。その4文字は私なりの休符なのだ。

#その後

率直に言うと、より一層自己開示が苦手になり、しんどくなった。私は自分の話をすることがあまり得意ではなく、人の話を聞く方が得意だと思っている。理由はいくつかあるが本題から逸れるのでまた別の機に。私に共感してくれた人や、理解できないから理由を知りたい人がいれば会った時にでも聞いて下さい。その時は頑張って話します。当事者研究のテーマにしても良いかもしれない。

さて、話に戻ろう。休符制度によりどろどろ達の検閲を厳しくし、ネガティブなことや少し毒のあることを放流しなくなった結果、メンタルに不調が出た。どろどろ言葉達について特定の個人と話したり、LINEやDMでやり取りすることは殆ど無い。年齢的に小娘だった頃の私ならすぐに誰かに「えーん聞いて!」とLINEしていただろう。まあ、その時代の私が送る「えーん」の内容の半分くらいは、恋愛関係のしょうもない悩みだっただと思う。そして、いつのまにかもう小娘なんて言える年齢じゃなくなってしまった。年齢もあるが環境もあるか。周りに楽しく話せる目上の人がほぼいないのである。50歳の素敵なご婦人の前では小娘だが、残念ながらいない。素敵なお兄様お姉様について行きたいが、周りに先輩と呼ぶ感じの人が少なく、いたとしても距離が近くなりすぎたこともあり先輩感が無い。ちゃんと尊敬はしています。

これを書いている今、ある友人(ちびまる子ちゃんで例えるなら、まる子にとってのたまちゃんのような存在)に「しんどいことがあれば、私にでも他の人にでもちゃんと話してね」と言われたことを思い出した。私は、世間から年齢的にお姉さんであることを求められること、自分で休符を設けることも品性のうちの一つと戒めた。このことが人に相談することや愚痴を吐くことについて、より難しくしたのだろう。

#グラデーション、場合分け

白黒で極端な思考によって首を絞めていることは確かなので、ごぼごぼの内容によって場合分けをする必要があると感じた。世間からはお姉さんであることが求められても、同い年の友人や殆ど同い年みたいな友人の前では必要が無いので、「えーん!」を使用することを許してもらう。許してくれなさそうな人にはそもそも悩みを話さないと思うのできっと問題ないはずだ。後輩や年下相手には申し訳ない気持ちや、弱さを見せられないというしょうもない見栄があるので難しいが、その場の雰囲気や非常時には「えーん!」を許してもらおう。なんだか恥ずかしくなってきた。休符については最低限のマナーと90%の優しさ持ち、表現に気をつけて投稿すれば良しとしよう。

 

最後に、これは私に向けての話です。なので、休符を置かなきゃとか、自分もお姉さんお兄さんやらなきゃとか決して思わないでください。しんどいときはえーん!しましょう。

 

残念ながら今夜はもう記事を寝かせるような理性が残っていないので、いつものように海に放り投げます。おやすみせかい、それではまた明日。

 

#本日のセットリスト

なし

某バレーボールのアニメの映画がとても良かったです。今晩は県大会の決勝戦のシリーズをもう一度見るつもりだったのに、文を書いていた。朝が来る。